日系社会の集いの場 担い続け JCCCNC創立50周年

1994年、天皇皇后両陛下が訪問された際の一枚(写真提供=JCCCNC)


サンフランシスコ日本町には1960年代に始まった市の再開発計画以降、多くの非営利団体が存在する。その一つ、今年創立50周年を迎えた北加日本文化コミュニティセンター(JCCCNC)は、日系社会の集いの場としての役割を担い、日米交流を支援する活動を続けている。

60年代に構想、73年に法人化されたJCCCNCは、日系社会のニーズを満たすための、市の再開発庁の取り組みの一環であった。アジア太平洋島民法的支援(APILO)事務局長のディーン・イトウ・テイラー氏は、日系社会には集いの場がなく「政治的な問題ではなくコミュニティの問題として、その構想は人々を一つにした」と語る。

サンフランシスコ日本町に構える北加日本文化コミュニティセンター

日本町法的支援(NLO、APILOの前身)は低所得者向け非営利団体として、気持会は高齢者支援団体としてのステータスを活用して、JCCCNC建設のための連邦と州政府の資金確保に協力。86年に建設の第一段階が完成した。

 

ポール・オオサキ氏は33年間、JCCCNC事務局長を務めている。プログラムもイベントもなかった88年に初代プログラムディレクターとして採用された時は1年間だけの予定だったが、日系社会が所有し資金を賄うJCCCNCのビジョンを信じる2世たちをサポートすることを決意した。かつて土地や財産を没収された日系人としての願いに心を動かされた。

「彼らは、二度と奪われることのない、コミュニティのための場所を求めていました。それが彼らの大きな目標だったので、私はそれの実現を約束しました」(オオサキ氏)

実現は簡単なものではなく、3つの日系銀行との特別融資パッケージを手配しローンを組んだが、1300人近い有料会員の寄付と資金調達によって、30年ローンをわずか10年で完済した。

プログラムは拡大し、老若男女が利用するコミュニティスペースとなり、毎年15万人以上を迎える。また親善プログラムを通じて日本との草の根交流も築き、子供たちへ日本訪問の貴重な経験も提供。コロナ禍にワークショップなどのオンライン化を進め、34の州と5つの大陸の参加者にもアプローチできた。

2017年、日米親善プログラムの一環で神戸の啓明学院を訪れたアメリカからの参加者と同学院の生徒ら(写真提供=JCCCNC)

95年の阪神・淡路大震災の際には大阪や神戸と強い繋がりを築き、約60万ドルの救援金を集めた。この時に築いた関係や学びが、2011年の東日本大震災救援基金(NJERF)の設立に活かされた。「全職員を集めて、『東北の災害救援のために何かしよう』と言いました。仕事をすべてストップし、私たちは救援センターに変わりました」(オオサキ氏)

NJERFの集めた救援金の総額は420万ドル以上。JCCCNCはこの地域で最も多くの救援金を寄付している団体の一つであり、救援専門の組織ではない唯一の団体だという。震災後10年以上経っても仮設住宅に住む被災者のアフターケアを昨年まで支援し続けた。

オオサキ氏らは過去2年間取り組んできた後継者育成プランのまとめがほぼ終わり、時が来れば若い世代がリーダーシップを発揮することに自信を持っている。

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