先駆者へ思いをはせる 若松コロニー巡礼の旅

「おけい」の墓に祈りを捧げるサクラメント仏教会の菅原祐軌師(10月7日、エルドラド郡ゴールドヒル)


エルドラド郡ゴールドヒルにあるアメリカで最初の日本人入植地、若松コロニーへの巡礼が10月7日に行われ、サクラメントやベイエリア各地からのバスで約150人が参加した。隔年開催のこの巡礼は今回で3回目。日米ファンデーションがアメリカン・リバー・コンサーバンシー(ARC)、カリフォルニア系図学協会と共同で開催し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校アジア系アメリカ人研究センター、アラタニCAREアワード、ウェイン・マエダ教育基金が後援した。

若松コロニー最初の入植者・増水国之助のひ孫のアーロン・ギブソンさんも巡礼に参加した(10月7日、エルドラド郡ゴールドヒル)

1869年にプロイセン人ジョン・シュネル、会津若松(福島県)藩士とその家族は、ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアに渡り同地にコロニーを築いた。茶や絹の栽培を試みたが様々な要因でわずか2年でコロニーは崩壊。現在はARCが跡地を管理している。

カリフォルニア州立大学サクラメント校のウェンディ・ヤマシタ教授(アジア系アメリカ人研究)は「彼らが日本を離れ、見知らぬ土地への旅に出たときに抱いた希望と夢を私たちは忘れません」と開会のあいさつで参加者に語りかけた。

シュネル家の子守りとしてやってきた「おけい」は1871年に19歳で亡くなり、アメリカで埋葬された最初の日本人女性となった。参加者はサクラメント仏教会の菅原祐軌師とともに丘の上の墓で手を合わせた。

近隣のプラサービル出身の、アラバマ大学バーミンガム校のジョン・E・ヴァン・サント准教授(歴史学)はスピーチで、コロニーの資金源は会津藩主だった松平容保であり、会津藩の戊辰戦争での敗戦が彼らをカリフォルニアの辺境に押しやる結果となったとし、「彼らが日米関係の行く末に直接影響を与えたことはほとんどなかったが、避難民として日本を発ち、アメリカに永住する意思を持ち、農業のコロニーを築いたことは、やがて何千人もの日本人に模倣され、日系アメリカ人の誕生につながった」と、見解を述べた。

次回の巡礼は2025年10月に開催予定。

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