コロラド州南東部、グラナダ郊外にある第二次世界大戦時の日系人強制収容所、アマチへの巡礼が5月18日に行われた。今年3月、アマチは国立公園として正式に認定され、国立公園局が国定史跡として管理することが決まったことから、例年以上の参加者が訪れた。
巡礼には被収容者やその子孫たち約300人が集まり、かつて墓地だった場所に並べられた椅子を埋め尽くした。墓地の入口近くには、アマチから志願し、米国のために戦って戦死した日系人、1942年から45年の間に収容された7000人以上と同収容所で亡くなった120人に捧げられた記念碑がある。墓地は復元された監視塔などの建物が点在する1万エーカーの草原と荒地に囲まれている。
墓地でのセレモニーの後、参加者たちはグラナダ高校へ移動し昼食会を楽しんだ。同校の生徒と歴史教師ジョン・ホッパーさんは、アマチ国定史跡を語る上で特別な存在だ。
90年代にグラナダで教鞭を執り始めたホッパーさんは、この地域で育ち、母親は元被収容者の友人だった。収容所
について生徒に教え始め、生徒たちはアマチ保存会を結成し、収容所跡地の維持管理を手伝っている。またホッパーさんの指導のもと、生徒たちはコロラド州南東部だけでなく、他州にもアマチについてのプレゼンテーションを行っている。彼らは被収容者とその家族から寄贈された遺物を集めた博物館を管理し、国定史跡の指定を得るために不可欠な存在となった。
国定史跡に認定されるまでの道のりは長かった。正式名称を「グラナダ戦時転住センター」というアマチは、42年2月19日にフランクリン・ルーズベルト大統領が大統領令9066号に署名した後、政府が日本人の血を引く人々を収容するために運営した10の強制収容所のひとつだった。45年に閉鎖された後、跡地は数十年にわたって荒廃していたが、80年代から90年代にかけて、元被収容者やその子孫、地域住民による保存活動が始まり、地域団体による継続的な努力の結果、2006年に内務省はアマチを国定歴史建造物に指定した。
22年3月、ジョー・バイデン大統領は、コロラド州議会の超党派議員によって起草されたアマチ国定史跡法に署名、アマチが正式に国立公園システムの一部となるまでには、今年の3月まで2年の歳月を要した。すでに入口や公園内には新しい標識が設置され、今後数年のうちに史跡の足跡が修復・整備される予定だ。
家族とともに訪れた元被収容者のボブ・フチガミさんは、巡礼の数日前に94歳になった。長年にわたって保存活動と史跡指定を主張し、デンバーのコロラド歴史博物館がアマチを常設展示するのを手伝った。「私が生きている間に実現するとは思ってもみませんでした。議会がこれほど分裂している今、このようなことが起こったのは信じられません」と史跡指定を喜んだ。
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