失われた日本町に記念碑 ウィンターズで除幕式

戦前と戦後に不当な扱いを受けたウィンターズの日系アメリカ人社会に捧げる目的で公開された記念碑(5月4日、ウィンターズ)


サクラメント・バレーに位置するヨロ郡ウィンターズ(人口約7500人)で、同市の日系コミュニティに捧げる記念碑の除幕式が5月4日に行われた。この記念碑は日系コミュニティとウィンターズ市議会との長年の協力によるものであり、また日系コミュニティの貢献を記念するものであると同時に、かつて日系アメリカ人が受けた不当な扱いを認めるものでもある。式典にはヨロ郡全域から約100人が集い、ビル・ビアシ市長ら同市関係者や大隅洋・在サンフランシスコ日本国総領事も出席した。

歴史家の故・市岡雄二氏によると、カリフォルニア州で初めて農業に従事した日本人移民は、1888年にウィンターズで職に就いた集団だという。その後まもなく、数組の移民家族が同市に定住し、1940年までに約300人の日系人が居住した。

第2次世界大戦の数年前、白人の住民たちの激しい憎悪の対象となった日系人はブロック4と呼ばれる地区に隔離され、そこがウィンターズの日本町となった。旧日本軍による真珠湾攻撃後、同市でも反日感情は高まり、日系人が強制収容所に収容されると、地元の人々は日系人たちの農地を引き継いだ。戦争中も日系人に対する人種差別的な考えを根強く持ち続け、地元の人々は日系人の町への帰還禁止を求める嘆願書を作成した。45年9月の対日戦勝記念日の直後、謎の火災が発生し日本町に残っていた建物が全焼したが、逮捕者は出なかった。戦後、ウィンターズに戻った日系人は、戦前の人口の15パーセント以下だった。

このプロジェクトの指導者の1人であるフロイド・シモムラ氏の家族は、戦後この町に戻ってきた数少ない日系人だった。82年に史上最年少の34歳で日系アメリカ人市民協会(JACL)の会長に選出され、JACLを代表して日本を訪問した最初の会長となったシモムラ氏は、この記念碑の承認を得るために、地方自治体と緊密に協力した。

記念碑はダウンタウンのロータリー・パークにあり、かつてこの場所にあった活気ある日本町を紹介している。市や日系社会の人々にとって、この記念碑は過去の行動に対する和解と、寛容を求める呼びかけの象徴となった。

日系社会の一員であるデニス・ヒラマツ氏は、第2次世界大戦中の第442連隊戦闘団と軍事情報部の日系アメリカ人兵士の貢献について語り、「私たちの父親たちの多くが第442連隊に所属し、その多くが忠誠と犠牲の勇気によって勲章を授与されました。彼らに代わって、この記念碑に心から感謝します」と述べた。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *